個性的な演技と独特の存在感で注目の俳優・坂口涼太郎(さかぐち りょうたろう)さん。
映画やドラマで活躍する姿を見て、「ご両親はどんな方なのだろう?」と気になった方も多いのではないでしょうか。
俳優としての表現力や感性は、育った環境や家族の影響が大きいと言われます。
そこで今回は、坂口涼太郎さんの両親の職業や家族背景、生い立ちについて調査しました。
さらに、彼のユニークな魅力につながる意外なルーツについてもご紹介します。
ファンの方はもちろん、坂口涼太郎さんを最近知った方も必見です!
坂口涼太郎の両親はどんな人?
坂口涼太郎さんのキャラってユニークではないでしょうか?
アドリブにも強くて、自己紹介だけなのに思わず笑ってしまいました!
ご両親もユニークな方なのか気になりますね。
両親の職業についての情報
坂口涼太郎さんの両親について、公式に大きく公開されている情報は多くありません。
ですが、インタビューとエッセイで少し触れられていました。
お父様は「シンジ」さんとおっしゃる方です。
会社員とタクシー運転手のダブルワークをされていました。
早くに両親を亡くし、商社に入った努力の人です。神戸や横浜で港関係の仕事をしていました。
私が小学生の頃、週末にタクシーの運転手をやっていたことがあります。休日返上で平日は会社に行き、土日は運転手として働いていました。
引用元:朝日新聞
坂口涼太郎さんはお父様のシンジさんが46歳のときに生まれました。
お母様は28歳か29歳くらいのときなんだそう。
大体17歳くらいの年の差があるんですね。
小学校は6歳から12歳までですので、50代のときにタクシー運転手を始められたんですね。
ではなぜタクシー運転手のお仕事を始められたのでしょうか。
理由は阪神大震災です。
その中には1995年に起きた阪神・淡路大震災で父の勤めていた会社が被災し、収入が減ったから、その収入を補填するために休日返上でタクシードライバーをしていたということ
引用元:俳優・坂口涼太郎の連載エッセイ「今日も、ちゃ舞台の上でおどる」2025.5.11
坂口涼太郎さんは当時、お父様がなぜダブルワークしていた理由は分からなかったそう。
まだ小学生ですから、分からないのは当然ですよね。
ただ他の子のお父さんとは違うことは気が付いていたのかもしれません。
その理由を31歳のときにお父様に教えてもらいました。
2021年7月に出演した窪塚洋介さん主演の映画『Sin Clock』がきっかけです。
窪塚さんの役名が「シンジ」という名前で職業がタクシー運転手。
坂口涼太郎さんはその同僚役の「ダイゴ」役です。
坂口涼太郎さんにとって窪塚さんはドラマ『GTO』のキング役で憧れだったんだそう。
タクシー運転手役でお父様を思い出され、その話をお父様にお伝えしました。
そうしたらタクシー運転手のマニュアルと始めた理由を手紙で教えてくれました。
とてもまじめで丁寧な子どもさん想いですよね。
マニュアルを今まで保管されていたなんて、きちんとされています。
坂口涼太郎さんはそこで何不自由なく生活できるようにしてくれたんだと理解したそうです。
そしてお母様は専業主婦だったそうです。
理由としては1人っ子だった坂口涼太郎さんのそばにいるため。
『仕事を辞めてずっと子どもといる。もう1回生まれ直したつもりでこの子と一緒に過ごしたい』
引用元:FRAU
坂口涼太郎さんが生まれるまでは会社員をされていたんですね。
子どもの成長はあっという間ですから、そう思う気持ちは分かります。
坂口涼太郎さんは1人っ子なので、かぎっ子にはしたくないと思っていたんだそう。
たとえ生活が苦しくても子育てに専念したいと強く思いました。
ご夫婦で話し合いの結果、専業主婦になったと言います。
自分も子どもになったつもりで子育てをしたいということなのですね。
ちなみにお母様はお笑い芸人の阿佐ヶ谷姉妹のお二人の中間のようなお顔立ちなんだそう。
インタビューなどから「家庭で音楽や芸術に触れる機会が多かった」と語っています。
ご両親も文化や芸術に理解のある方であったことがうかがえます。
坂口さんの感性を育てる環境を整えていたことは確かです。
そしてご両親は旅行がお好きだそうで、今もお二人で旅行をされているそうです。
旅行は非日常な体験をできますので、リフレッシュされいるのでしょうか。
国内でもその土地のよってはさまざまな文化がありますから、気持ちも豊かになりますよね!
坂口涼太郎の生い立ちと家族背景
坂口涼太郎さんは幼いころからピアノやダンスに親しみ、舞台芸術への関心を深めていきました。
特に幼少期は歌うことが好きだったようです。
そのため、ご両親は坂口涼太郎さんをミュージカルやディズニーランドなどへ連れて行ったそう。
帰宅後は、借りた衣装を着てちゃぶ台で歌ったりして、親戚やおばあ様から可愛がられたとか!
子どもの個性を尊重して自由に表現させてくれる家庭環境だったことが、今の独自の表現力につながっていると考えられます。
芸術的な才能を育んだ環境
兵庫県で生まれ育った坂口涼太郎さんは、学生時代から音楽やダンスに打ち込みました。
ご両親はいろいろなことを体験させて好きなことを見つけて欲しいと思っていたんだそうです。
なので、坂口涼太郎さんが興味を示すものはなんでもやらせたと言います。
ピアノを習わせたり、ダンスのレッスンに通わせたりしています。
ピアノは神戸時代と引っ越した神奈川時代と2回買ってもらったんだそう!
スタンドピアノと電子ピアノだそうです、すごいです!!
神戸時代は3歳から始めて、中学2年生で億劫になりやめてしまったんだそう。
神奈川では音楽の発表で、関西シックになったこの気持ちを曲にするべく、ピアノを買ってもらったんだそうです。
特にダンスはプロとしての活動経験もあり、俳優活動にも大きな影響を与えています。
小学校4年生のときにモーニング娘。に入りたいと思うそうですが、挫折。
そしてお母様に連れられて観に行ったミュージカル「CATS」でミュージカル俳優を目指すんだそう。
心はミュージカルですが、なかなか行動できなかったところ、お母様がしびれを切らしてダンスの稽古にいくように言ってくれました。
そんなお母様のすすめで、森山未來さんのご両親が運営する神戸のダンススタジオ「モダンミリイ」に約1年間通います。
そこでの稽古や発表会を経て、森山未來さんが主演されるダンス公演に演出部のスタッフとして参加させてもらうこともあったんだそう。
その後、高校2年生の夏休みに森山未來さんが主演・演出するダンス公演「戦争わんだー」にダンサーとして出演したこともありました。
坂口涼太郎さんは中学まで神戸で、高校からは神奈川県茅ケ崎市に引っ越します。
理由としては、お父様の転勤と坂口涼太郎さんミュージカル活動のためです。
神戸より関東の方がチャンスがある、そしてお母様の育った場所が神奈川茅ケ崎でした。
ご両親が坂口涼太郎さんのそうした活動を応援し続けたからこそ、芸術的な才能が花開いたのでしょう。
家族との関係性や支え合い
坂口さんはエッセイなどでご両親に「感謝している」と話しています。
私は腰が重い人間で人から言われないと物事を始められないたちなのですが、両親が背中を押してくれたおかげで一歩を踏み出すことができました。恵まれた環境で育ったことを感謝しています」
引用元:FRAU
たしかに内容的には結構、いろいろな活動をされています。
幼少期に悩まれたアトピーもお母様が、かなり力をいれてくださっていましたよね。
ミュージカルをやっていた中学生の頃はお父様が車で送り迎えをしていました。
かなりご両親からのサポートがある恵まれた環境です。
両親や親戚との関わりが与えた俳優としての影響
そんなミュージカル寄りの坂口涼太郎さんが俳優を目指すきっかけは何だったのでしょうか?
きっかけはダンス舞台の控室で一緒だった俳優の八十田勇一さんです。
その八十田さんから俳優をすすめられたんだそう。
あるとき、八十田さんが私のすずめを見て、私がものすごく喋りたそうに踊っていると感じたとおっしゃり、「俳優になれば、踊れるし、喋れるし、歌えるよ」と提案してくださった。
引用元:俳優・坂口涼太郎の連載エッセイ「今日も、ちゃ舞台の上でおどる」2025.5.4
そこで勉強として観に行った舞台に衝撃を受けたそうです。
ケラリーノ・サンドロヴィッチさんが作・演出された「犯さん哉」という舞台です。
俳優の古田新太さんがブリーフ1枚で演技をしていて、その内容やテンポ、世界観に体の力が入らないくらいに笑ったんだそう。
そこでその演劇に主宰をして事務所キューブとアミューズ、スターダストに履歴書を送ります。
結果、連絡が来たのが八十田さんが所属するキューブのみ連絡が来て、晴れて所属。
そこから、俳優としてのお仕事も始まります。
ミュージカルをやりたいと思っていたときにお母様がしびれを切らしていなかったら・・
この流れは絶対になかったことだと思います。
インタビューで語られる家族への思い
坂口涼太郎さんはインタビューで「育った環境が今の自分を作っている」と語っています。
食事でこんなにも体の調子が変わるんだとわかったのは、アトピーを治そうと頑張ってくれた両親のおかげです。
小さい頃にさまざまな舞台を見せてくれたことといい、ダンス教室を探してくれたことといい、僕のためにいろんなことをして、導いてくれたんだなと、最近になってやっと気づいています。子どもの頃からの出会いがすべて繋がってここまできたんだと思うと、本当にありがたいです。
引用元:婦人公論.jp 2024.8.15
親の子どもを想う気持ちって子ども本人は年を取ってから分かるんですよね・・
自分が同じ立場に立ったときに、こんなに尽力してくれたんだな・・と頭が下がる想いでした。
芸術を応援してくれた家族の存在が心の支えになっていることは間違いありません。
坂口涼太郎の魅力を支える「意外なルーツ」
ご両親の他に坂口涼太郎さんが今でもリスペクトしている方がいます。
それはおばあ様です。
ホスピタリティのある方だったようです。
ショートカットで柔らかな優しそうな感じの方です。
坂口涼太郎さんが27歳の時に77歳で亡くりました。
現在35歳ですから、約8年前ですね。
おばあ様は小さなスナックをやってらして、パートナーと団地で暮らしていました。
スパンコールのついたキラキラした服や、レースやファーがついた服を譲り受けていたんだそう。
洋服だけでなく、遊びに行くたびに食べきれないほどのお料理を出してくれたんだそう。
レストランに行っても店員さんを手伝おうとしたり、ガンが発覚してかなり進行していたことが分かったときは、見つけられなかった自分を責めていたんだそう。
ホスピタリティーあふれるマインドや社会の見方みたいなものは、少なからず私も受け継いでいるんじゃないかなと思っています。彼女は今も私の女神であり、心からリスペクトしている人です
引用元:FRAU
パートナーの方はかなりショックだったようです。
おばあ様の持ち物を坂口涼太郎さんのお母様などに相談せず、処分してしまったそうです。
そして葬儀にも出席していなかったといいます。
坂口涼太郎さんとともに、そのパートナーの方にとってもおばあ様は大きな存在だったのですね。
家族から受け継いだ価値観
「人と違うことを恐れない」「自分らしく表現する」という姿勢は、家族の影響を色濃く受けたものだと思われます。
坂口涼太郎さんのユニークなキャラクターや柔らかな雰囲気には、家庭で育まれた価値観が表れています。
幼少期から芸術や表現活動を応援してくれる家庭環境があったことは確かです。
その温かな支えが、彼の独自の表現力やユニークな魅力を育ててきました。
何を素敵だと思うかは人それぞれ違うので、自分なりにアンテナを張って自身の振る舞いとして1つダウンロードする。そしてときどきそれをアップデートしながら、トライ&エラーをしつつ学んでいく。生きるって、その繰り返しという気がします。
引用元:FRAU
これからも坂口涼太郎さんがどんな役を演じ、どんな形で活躍していくのか楽しみですね。
これからも益々のご活躍を応援しております!
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