NHKの朝ドラ『虎と翼』に出演し、注目を集めている若手俳優・片岡凜(かたおか りん)さん。
ドラマや映画での演技やSNSでの炎上など、一体「どんな家庭で育ったの?」と気になる方も多いのではないでしょうか。
特に「父は誰?」「芸能界とつながりがあるの?」といった疑問は、ネット上でも検索されることが多いテーマです。
この記事では、片岡凜さんの父親にまつわる情報を中心に、家族構成や芸能界との関係についてわかりやすく解説していきます。
片岡凜の父・片岡達也とは?
片岡凜さんの父は、片岡達也(かたおか たつや)さん と言います。
実はお父さんの片岡達也さんも結構な有名人です。
1973年2月13日の52歳で、現在はデザイナーや実業家をしています。
昔はバンドでボーカルを担当されていて、ヒゲのあるワイルドなハーフっぽい方ですね。
生き方も波瀾万丈で、かなりの強烈エピソードをお持ちの方です。
お父様もSNSのエックスをされていますが、そこの欄には「表現者」となっています。
ですので、表現できるものでしたら、何でもやる・できる多才な方なのでしょうね。
片岡凛の父の仕事内容とは?
ロックミュージシャンのお仕事はどうだったのでしょうか。
どのような音楽なのか気になりますよね。
ロックミュージシャン時代
高校卒業とともに、ロックミュージシャンを目指して上京。
プロとして音楽活動をしていたが、突然の契約終了がレコード会社から告げられた。
方向性の違いとの話ですが、そのバンドにもいろいろと問題がありました・・
父の若い頃のパンクバンドのライブ映像を見ました。ライブ当日にギターとベースの方が逮捕されたらしく、ボーカルの父とドラムのみの演奏でお客さんに「お経じゃねんだぞ」とヤジられて気の毒でした。
引用元:片岡凜 (@questionzombies) – X
お父様は最初、バンドマンでボーカルをされていたんですね。
ライブ当日にメンバー逮捕はかなり衝撃的です。
このような出来事も契約終了に影響しているのかもしれませんね。
その後は段々と生活できなくなり、結果新宿で路上生活を約2年することになります。
片岡凛さんがそのことについて話をしていました。
また父親は若い頃、定住先をつくらず、その頃の主食は歯磨き粉という衝撃的なエピソードを話し、「ウイスキーによく合うって言ってました」と笑いを誘った。新宿の高級ホテルの下でも暮らしていたというが、「ただ悲惨なだけではなく」、わずか2年後には、そのホテルの最上階の豪華な部屋で記者会見を行うという、逆転エピソードも付け加えた。
引用元:スポニチアネックス
以前の記事では、片岡凛さんが心に残っているお父様の言葉がありました。
「見え方次第で天国になる」というような内容でした。
お父様ご自身が実際に天と地を経験されたからこその言葉だったんですね。
身近でしかも親がそのようなご経験をされていると、伝わり方が全然違いますね。
アメリカでの大活躍!
そこから1996年にアメリカにいるお兄様の元へ行きます。
お兄様が車のホイールのディーラーをされていたので、ついて仕事をしたようです。
そこで何気なく段ボールに書いたデザインが社長の目にとまり、デザインを始めます。
会社は「MHT Wheels(エムエイチティー ホイール)」です。
アメリカでは大手のホイールメーカーなんだそう。
オフロードと街乗りの両方に対応したデザインで有名ということです。
そこで人気ブランドKAOTIK(ケオティック)のファッションホイールデザイナーになります。
それだけでなく、お父様はそこでも鮮烈なデビューをします。
ラスベガスで開催された世界最大のカスタム&チューニングカーの祭典「アメリカSEMAショー」の人気投票で1位を獲得したんです。
なんと投票に参加した人数は100万人です!
ド素人のまぐれと現地でのヤジもありましたが、そこはお父様の実力です。
初の受賞から3年連続の計3回1位を獲得します。
お父様のデザインがアメリカのホイール業界に多大な影響を与えたんですね。
VIPのファンが付くまでに世界的に有名になったんです。
2002年に独立した頃は世界15社のホイールメーカーのデザインを担当するまでになりました。
かなりのアメリカンドリームですよね!凄いです!
世界のトップレベルが集まるアメリカでご活躍だなんて、日本人として誇らしいですよね!
現在は一時的に第一線から身を引いているそうです。
コピー製品の氾濫やマスコミとのやり取りに嫌気がさしたからなんだそう。
今でも関わりはあるそうですが、後進に道を譲られています。
アメリカと日本との行き来が多すぎて、手ぶらで飛行機に搭乗することもあるんだそう!
その手ぶらと眉間にしわが寄っているワイルドな人相は、かなりあやしく思われたようで。
身体検査でいろいろなところを調べられたこともあるとご自身のSNSで話されていました・・
そして地ビールのブランドへ!
その後は地元群馬県太田市に戻ります。
そこで地元の夢麦酒太田(ぐんまゆめびーるおおた)のオーナーさんと出会い、2016年にクラフトビールのブランド「CHROA(クロア)」を立ち上げます。
そこでお父様はプロデューサー兼デザインを担当されています。
キャッチコピーは「ビールくらい浮気しろよ」です。
他のビールメーカーにないものを考えたとき、アダムが林檎を食べてしまったのは、林檎が好きだったのではなく、禁断のものだったから。クロアが追求しているのはそこですね。
通年であなたの禁じられた存在ででありたいのです
引用元:HARBOR BUSINESS Online
デザインやコンセプトは全てお父様の恋愛遍歴が土台になっているそう。
ここまでの成功者ですから正直モテてしまうんですって。
まぁ、それはそうでしょうね・・という感じです笑
なので浮気癖が治らない、止められないのは病気なのかもとおっしゃっていました。。
そして驚きなんですが、実は車もビールもあまり興味がないんだそうですよ!
今でも車の種類も分からないし、飲むのはビールではなくバーボン。
なのに世界的に成功されていますし、人気で品薄の商品にまでしてしまうんですね。
この車にはこれが!!というこだわりがなかったから今までにない製品が作れたとおっしゃっています。
そこまでにしてしまうものは何なのか気になりますよね。
固執しないことが革新的なものを生み出すひとつ要素だと考えます。
引用元:HARBOR BUSINESS Online
世界的に成功するとその手法が1つのマイルールになると思います。
ですがそこにこだわらずに、全く別の分野に挑戦しようとするのがお父様の凄さの1つですね。
ご本人は飽きっぽいと話していたそうです。
その飽きっぽさも、もちろんあるのかもしれませんが、
世界のトップまで登りつめた人にしか分からない風景や感覚や考え方などがあるのだと思います。
ゼロから創り上げることに対してのご自分の存在意義というか熱量を強く感じました。
地元群馬にはお父様がビールを持った、大きな看板があります。
地元のために力になりたい、地ビールを広めたい、という強い気持ちが伝わりますよね。
次は何を追求する??
では今度はどの分野に挑戦するのでしょうか。
これはかなり意外な分野へ2017年に挑戦しています。
それは保育ロボットという保育分野です。
ちなみにお父様は子どもはあまりお好きではないようです。
走り回っている子どもも見ると足をかけたくなると言っています。
1人っ子の片岡凛さんが出演されている現場に差し入れをするなど子煩悩ではあります。
ですので、半分本当半分盛っている感じもしますが、得意ではないようです。
この保育ロボットは保育士の人材不足が原因の業務負担増を減らすために作られたものです。
情報通信技術(ICT)をメインとする東京の会社と群馬大学が共同開発した保育ロボットのデザインを担当しました。
園児の登園、退園の時間記録を自動的に管理するほか、昼寝中の健康管理を行い、異常を確認した場合は即座に情報発信する機能などを持つ。
保育ロボットの名称は「VEVO(ヴィーボ)」で、クマをモチーフに高さ約70センチ、重さ約12キロ。太田市在住のデザイナー、片岡達也さん(44)がデザインを担当した。首や手は動かせるが、歩くことはできず、耳のスピーカーから「おはよう」などの簡単な音声を流すことができるという。
引用元:産経新聞
この保育ロボット・VEVO(ヴィーボ)1台で園児30人分をチェックできるそうです。
この保育ロボットに関する絵本も4冊出版され、絵をお父様が担当されています。
調べてみたところ、2020年までネット記事などで取り上げられていました。
ここ数年に関してはあまり動きがないのか、見つけられませんでした。
2019年の記事では年間約350万円の人件費を節減できたそうです。
お父様が在住している群馬県太田市は、スバルの本工場があります。
本社は東京渋谷ですが、スバル発祥の地として施設一帯が「スバル町」と正式な名称になっているほどです。
ですので、このようなトップレベルの技術が受け継がれているのかもしれませんね。
父と娘のつながり
芸能活動のジャンルこそ違いますが、「表現すること」を大切にしている点では父娘で共通している部分が多いでしょう。
片岡凜さんが演技で人を惹きつける力を持っているのは、お父様の芸術的な影響も関係しているのかもしれません。
以前の記事ではご両親に言われた言葉をご紹介しました。
「常に規格外であれ」と育てられたんだそうです。
お父様はとてもクリエイティブで、破天荒な生き方をされています。
少しご紹介しただけでも感じられるのではないでしょうか。
そんなお父様に対して片岡凛さんはこのように感じています。
「父の人生をリスペクトしていますし、本当に学ぶことはたくさん多いんですけれども、私は私で唯一無二の生き方をしていきたいなと、常に考えています」
引用元:スポニチアネックス
コロナ禍を経て、物事や世界の流れが変わりました。
在宅ワークやフリーランス、ネット社会の発達などです。
今や大企業でも倒産する可能性のある時代になりました。
そんな中で生き残るために必要なのは、このようなクリエイティブな感性なのかもしれません。
もう少しお父様の衝撃エピソードをご紹介します。
「父はアメリカで車のホイールのデザイナー」をしていたが、「裏ではマフィアが牛耳っている世界」の中、「とにかくやんちゃな人なので、メディアでライバル会社やマフィアの煽るようなことばかりしていたので、父の口を塞ごうと」事件になったという。
これについては以前、父親が「ロスでマフィアに拉致されロシアンルーレットというゲームをやらされた話以来、片岡家では恐怖のワードでした」、「異国で敵に車を爆破されたり、生きるため崖から飛び降りた事もあります」
引用元:スポニチアネックス
お父様のことを調べてみると、この話があながち嘘松だとは思えない自分がいます。
もしかしたら、少し話を盛っている箇所はあるかもしれませんが、
世界のアメリカで、しかも車のホイール業界でトップにいたのは並大抵ではないと思います。
アジア人が1人で立ち向かうには、普通の常識は通じないと感じるからです。
正攻法などではいかないことも、もちろんザラにあったと思います。
生きていくためには、規定外・唯一無二であれと言う理由が分かった気がします。
お父様や片岡凛さんからしてみれば、虚言癖と言われても、実際経験していない人はそー思うかもねーくらいにしか感じないくらい、ワールドワイドな体験をされていると思いました。
自分でゼロから作り出す力があれば、例えドン底にいても巻き返しが出来る。
片岡凛さんの唯一無二はどんなものなのか、今後が楽しみですね!
これからも益々のご活躍を応援しております!
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