お笑いコンビ「ずん」としてもご活躍中の飯尾和樹(いいお かずき)さん。
俳優では助演男優賞を受賞するほどの演技派です。
飯尾和樹さんは助走期間が長い、遅咲きと言われています。
同期は20代でブレイクしたキャイ~ンやナインティナイン、くりぃむしちゅー、ネプチューン。
現在ではかなりの大物芸人さんばかりですね。
40代でブレイクしたと話されている飯尾和樹さんですが、若い頃はどうだったのでしょうか。
今回はそんな遅咲きだという飯尾和樹さんの若い頃をご紹介します!
飯尾和樹って遅咲き?下積み20年以上!?
調べてみると飯尾和樹さんはご苦労はされているのは確かです。
ですが何となくそれを感じさせない何かがある気がします。
ふてくされたりやさぐれていないというか、孤独感がないというか。
それは飯尾和樹さんのお人柄などが影響しているなと思います。
飯尾和樹は若い頃から何となく食えている!?
経緯を見ると飯尾和樹さんは若い頃から結構お仕事のチャンスには恵まれている印象です。
定期的に帯番組や名前の通った番組に出演されているからです。
それはご本人も感じているようで、チャンスを3つ明確に潰したと話しています。
ご紹介しますが、かなり有名な番組ばかりです。
1つ目は25歳のウッチャンナンチャンさんの初の冠番組の『UN FACTORY カボスケ』。
2つ目は「ずん」結成初期の30代で出演した『笑っていいとも!』。
3つ目は40代のときに出演したとんねるずさんの『とんねるずのみなさんのおかげでした』。
この番組内で11年間お付き合いされてフラれてしまった方とご結婚されています。
どれも出演後数年間は生活できるほどのご活躍だったそうです。
なのにせっかくのチャンスを力不足などで活かしきれなかったと振り返っています。
こう振り返ると20代~40代までコンスタントにブレイクのチャンスはあった感じですよね。
なかなかここまで長期にわたってチャンスがあるのは珍しいし、凄いと思います。
飯尾和樹の20代は暇すぎた?!
20代は寝すぎて床ずれができるくらい暇だったそうです。
18歳からお母様の実家である3LDKの2階建て一軒家で家の管理をしながら一人暮らしされています。
住むところがなくて困っている若手芸人さんのエピソードがある中でかなり恵まれていますよね!
その一軒家で家賃が払えなくなった後輩芸人さんたちと共同生活をされていたとか。
あまりに暇すぎて午後3時から焼酎の「いいちこ」を開けて飲んでいたそうです。
貧乏エピソードとしては25日の給料日前の20日に所持金300円しかない、
キャベツ1つでキャベツチャーハンにキャベツカレーなどで3日間暮らしていたとか。
小さい頃からご両親は共働きだったそうで、料理は得意な方だそうです。
床ずれは出来たものの20代のときに芸人の収入だけで食べられている時期があります。
最初は25歳くらいのときですね。25から4年間くらいは食えて、解散して一人になったらまた食えなくなって。「ずん」を組んで『いいとも!』に出てまた食えるようになりました。
引用元:文春オンライン
この25歳はお笑いコンビ「La.おかき」時代のことです。
ウッチャンナンチャンさんの「カボスケ」貯金ですね!
なので飯尾和樹さんの若い頃はずーっと食べれなかった訳ではないんですよね。
飯尾和樹の30代は「ずん」の結成後にブレイク!
方向性の違いからお笑いコンビ「La.おかき」は1997年に解散します。
3年ほどピン芸人で活動しますが、2000年に現在も組んでいるお笑いコンビ「ずん」を結成。
その頃は関根勤さん繋がりで『笑っていいとも!』のレギュラー出演などしています。
当時をご本人もこのようにおっしゃっています。
「技術もある程度身につき、得意なものまねも、一発ギャグもある。ゆえに中途半端に『食えている』。そのせいで、呆れるくらい危機感の薄い二人でした」
引用元:THE21ONLINE
若いときは地味で目立たない存在から一時期は見える透明人間といじられていたそうです。
お笑いも知る人ぞ知る通な感じでの人気だそうで、活躍してもサイレントブレイクと言われていました。
同期のような大ブレイクではないけれど生活は出来るけれど、低収入のため税金が払えないこともありました。
飯尾和樹さんのお笑いネタで現実逃避シリーズ(昼間からゴロゴロゴロゴロ〜。あーあ、何でも10円で買えたらなぁ等)は30代半ばにリアルに考えていたことだったそうです。
お仕事が来ないのは来ないで焦りやストレスだと思いますが、
仕事は来るがブレイクではない低空飛行もなかなかのストレスですよね。。
そのような30代を経て40代のブレイクに繋がる訳ですが、まだ紆余曲折あります!
飯尾和樹が40代でブレイクした秘訣は??
なんと飯尾和樹さん、40代で家賃が払えなくなってしまうんです。
お母様のご実家を出られていたのですね。
借りていた所は大家さんに家賃のお支払いを待ってもらったりしていたそうです。
それが立ち行かなくなり安い所へ転居し、バイト生活が始まります。
当時、ご実家で一緒に住んでいた後輩芸人が立ち上げた清掃会社でバイトをします。
住まわせてもらった御恩があるのか、接待されているような優遇をしてもらったと言います。
そんなアルバイト生活を3ヶ月ほどすると、また芸能のお仕事が入ります。
冠番組を持った『ナインティナイン』、『ネプチューン』など仲が良かった同期や、昔仕事をしたスタッフが番組に呼んでくれて、徐々に食えるようになった。苦しくても諦めなければ何とかなるもんです。
引用元:FRIDAY DIGITAL
40代でブレイクされたのは、周囲の方の引き立てがあったからなんですね。
若い頃から関根勤さんや明石家さんまさん、タモリさん、笑福亭鶴瓶さんなどから、
アドバイスや相談に乗ってもらったそうです。
芸歴が長いからと言って分かったふりはしないと決めていたと言います。
素直に相手の活躍をたたえて、秘訣を聞いて回ったそうです。
20代の人でも分からないことは先生と呼んで教えてもらっていました。
そんな飯尾和樹さんの人柄があってこその引き立てでもあったんですね!
ご家族やご友人に心配をかけ続けた20年とご本人がおっしゃっていたので、
不安定だったのかもしれませんが、お人柄と周囲の方に恵まれていました。
そうでなかったら、早々に芸能界を引退されていると思います。
そして後輩芸人さんのように別の分野でご活躍されていたと思います。
飯尾和樹さんのイケボとただの良い人で終わらない底知れない感じが好きです。
これからも益々のご活躍を応援しております!
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